ダヴィンチの旅行写真集:我が家の行事
2020-04-13T10:41:20+09:00
mda-vinci
海外旅行・国内旅行の時に撮影したコメント付き写真集
Excite Blog
2020年02月 思い出めぐり旅(3)
http://mdavinci.exblog.jp/30937338/
2020-03-31T11:44:00+09:00
2020-04-13T10:41:20+09:00
2020-03-31T11:44:00+09:00
mda-vinci
我が家の行事
2月25日(火) 本日は、有馬温泉を散策した後、大阪にある住吉大社に向います。夕方から「あべのハルカス」の展望台から大阪の夜景を楽しむ予定です。
有馬温泉 昨日、見残した場所を散策しました。
太閤秀吉の正妻・寧々の像
太閤秀吉像太閤の湯殿館
この建物は、太閤秀吉の湯山御殿が発掘された時の発掘資料館だそうです。1995年1月の大震災で壊れた極楽寺の庫裏の建替を契機に、400年ぶりに発見された湯山御殿に関する資料を展示しているところです。庭は1mの土で埋め戻されていますが、その上に当時のままの状態が復元されているそうです。なお、秀吉の湯山御殿は徳川氏によって取り壊され、その跡地に極楽寺の庫裏と念仏寺が建てられたといわれています。
発掘された湯船の遺構
極楽寺 有馬温泉郷にある浄土宗の寺院で、山号は静寂山、院号は伝法院です、本尊は阿弥陀如来像だそうです。安土桃山時代に秀吉によって本堂の隣に秀吉の湯治用の湯殿「湯山御殿」が築造されましたが、江戸時代に埋め立てられて庫裏が建てられたといわれています。温泉寺
有馬温泉の愛宕山中にある寺です。薬師如来の導きで有馬温泉を訪れた行基が神亀元年(724年)に建立したと伝えられています。鎌倉時代に仁西が荒廃した寺を中興し、12の僧坊を建立しました。その後、火災で焼失したものを北政所・寧々が再建したと伝えられています。本尊の薬師如来は日光・月光菩薩を従える立派な仏像で、地元で「薬師さん」と呼ばれ親しまれているそうです。秀吉が天正十八年(1590年)にこの寺の阿弥陀堂で大茶会を開催したといわれています。湯泉神社
有馬温泉の守護神を祀る神社です。有馬の湯につかり、神社にお参りすると子宝に恵まれると伝えられ、全国からも参拝者が訪れるそうです。最近では「とうせん」と言う読みにあやかり、選挙の立候補者などが「当選」を祈願する光景も見られるとか。
善福寺 境内にある枝垂れ桜に寄生するヤドリギが印象的でカメラに収めました。
金の湯太閤泉 金の湯入口の横に湧く瓢箪型の銀泉源の飲泉場で、気軽に温泉の味が味わえると多くの観光客に人気のスポットです。有馬温泉でのぶらり散歩を終え、次の目的地「大阪・住吉大社」に向いました。
住吉大社 念願の住吉大社の参拝でしたが、私の想像を遥かに超える目を見張るような凄い神社でした。
住吉大社は、全国に2300社ある住吉神社の総本社で、摂津国一之宮として崇敬をあつめ、年の初めには200万人以上の参詣者が訪れるといわれています。祭神はイザナギノミコトが禊祓を行われた際、海中より出現された底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の三神および神功皇后です。仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使や遣唐使などの航海の守護神として崇敬を集めたそうです。王朝時代には、和歌や文学の神としても崇められています。緑に囲まれた境内には、国宝に指定された住吉造の古代建築様式をもつ四棟の本殿が並び、その姿は圧倒されるような威厳が備わっています。第一本宮、第二本宮、第三本宮は一直線に並んでいますが、第四本宮は第三本宮の横に配置されています。
第一本宮
縦一直線に並んだ第一、第二、第三本宮 奥が第一本宮、中央が第二本宮、手前が第三本宮の本殿です。第三本宮および第四本宮 手前が第三本宮、奥が第四本宮で横並びに配置されています。第三本宮第四本宮住吉大社の赤い反橋(そりばし)
通称で「太鼓橋」とも呼ばれている美しい橋です。橋の長さは約20m、幅は約5.8m、中央部の高さ4.4mで中央部を頂点に半円状に反っています。この橋は慶長年間に豊臣家ゆかりの人物によって造営されたと伝えられています。反橋と御神木
反橋の直ぐ傍の杭に羽を休めていた鵜境内にある兎の手水舎境内に奉納された備前焼の狛犬と石灯籠「万葉集」歌碑「遣唐使進発の地」の碑住吉御文庫住吉大社の境内にある石舞台五大力
本殿の右奥に御所御前といって、住友大神が最初に御鎮座された場所があります。ここは神宮寺の信仰とも集合し「五大力(体力、智力、福力、寿力、財力)」を授けると信じられるようになったそうです。敷地内にある「五」「大」「力」と書かれた小石を拾ってお守りにするとか。楠珺社(ナンクンシャ)
楠珺社は、樹齢1000年を超える大樹を御神木とするお稲荷さんです。「はったつさん」と親しまれ、古くより商いを営む方々から篤い信仰を受けている「初辰参り」の中心的神社だそうです。この楠の古木を刳り貫く形で社殿が造られています。観音寺市で見た「生木地蔵尊」を思い出しました。
樹齢1000年の楠を刳り貫いて造られた社殿楠珺社の境内にある夫婦楠住吉大社をじっくり散策した後、本日の宿泊先であるホテルへ車で向いました。そのホテルは「あべのハルカス」の真ん前に位置していました。チェックインを済ませ、夕方から「あべのハルカス」の展望台に出かけました。
「住吉鳥居前」を走る路面電車「あべのハルカス」 今回の旅で、是非訪れたいと思い、計画に組み込みました。展望台からどんな夜景が見ることが出来るのか?興味津々です。
「あべのハルカス」は、大阪市阿倍野区に建てられた超高層ビルで、2010年に着工され、2014年にお全面開業した地上300m、階数60階の超高層建築物です。現時点では日本一高いビルですが、2023年には森ビルが「虎ノ門・麻布台プロジェクト」で約330mの超高層ビルを完成させる予定で、日本一の座を明け渡すことになるでしょう。
地上から見た「あべのハルカス」 「あべのハルカス」へのプロムナード展望台へのエレベーター 展望台に到着した時のスナップですが、「60F」の文字を確認できました。「あべのハルカス」の展望台展望台からの夕景および夜景
通天閣方面四天王寺方面それ以外の眼下の夜景
谷町筋の道路
JR天王寺駅
天王寺公園、動物園
天王寺サービスカウンター
天王寺近傍の高速道路と一般道路「あべのハルカス」展望台炬燵を囲んでの飲み会風景 炬燵で温もりながら、大阪の夜景を眺める気分は最高だろうナー!と思いながら眺めていました。
あべのハルカスの夜景2月26日(水) 本日は、四天王寺を見学した後、帰宅の途に着く予定です。
四天王寺
四天王寺が創建されたのは、今から千四百年前の推古元年(593年)と言われ、聖徳太子が鎮護国家と衆生救済のため仏教の守護神である四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を安置し創建したと伝えられています。南から北に向って、中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂といった主要な堂宇が一直線上に並び、それを回廊が囲む建築様式を「四天王寺伽藍」と言い、日本で最も古い伽藍配置様式であります。太子の偉業は、創建の際に四箇院を設置したことです。即ち、敬田院、悲田院、療病院、施薬院がそれです。日本書紀によれば、仏教の導入をめぐり、排仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子が争った時、蘇我馬子に味方した聖徳太子が仏教の守護神「四天王」に祈願し、戦勝の暁には四天王を祀る寺院を創建すると誓願したそうです。合戦の結果、崇仏派が勝利したので、誓約通り聖徳太子は四天王寺を建立したと伝えています。
四天王寺の境内地図
南大門から見た中門(仁王門)中門と五重塔中門の仁王像五重塔の正面に置かれた青銅製灯籠五重塔、水煙と風鐸 法隆寺の五重塔には裳階がありますが、四天王寺の五重塔には裳階がありません。水煙には薬師寺の五重塔の水煙と同じように飛天が音楽を奏でています。
四天王寺の金堂 法隆寺の金堂と同じようにどっしりとした重厚な姿ですが、こちらも裳階がありません。 金堂、五重塔そしてあべのハルカス 五重塔の遥か後方にあべのハルカスの超高層ビルが見えます。金堂と五重塔および中門 この三つの堂宇が一直線に並んでいるのが確認できます。四天王寺の講堂これらの堂宇を囲む回廊五重塔の内部 四隅を守護する四天王(広目天と多聞天)と内部の壁画 唐門と南鐘堂南鐘堂と五重塔および金堂
聖霊院・太子殿および奥殿 奥殿は法隆寺の夢殿に類似する建物で、屋根上飾りもほとんど同じでした。野沢菜の碑 「野沢菜原種 旅の起点」と刻まれた碑をに付けました。野沢菜はどのルートを通って信州へ伝わったのかを示す内容でした。六時堂と石舞台英霊堂大黒堂元三大師堂 元三大師堂でお百度を踏んでいる女の人を見かけました。
四天王寺の子供たち 四天王寺の境内で遊んでいた保育園児が先生に連れられて帰っていくところでした。地蔵堂極楽門と内部の壁画極楽門から見た西重門と五重塔極楽門のガラスに映りこむ五重塔 極楽門内部の壁画の釈迦の姿と五重塔が上手く融合し、不思議で魅力的?な写真になりました。見真堂と親鸞聖人像谷町筋の参道にある「石の鳥居」 真っ正面に極楽門が聳え、その背後に五重塔が見えます。
石の鳥居の傍で托鉢する僧侶
四天王寺を後に、徒歩でホテルへ戻りました。その途中で撮影したスナップ写真です。
門前の和菓子屋「釣鐘屋」
堀越神社
途中で見つけた可愛らしい犬の看板JRの電車と通天閣
出発前に撮影した超高層ビル「あべのハルカス」
ホテル契約の駐車場に戻り、一路自宅を目指して車を走らせました。今回も非常に楽しく、実り多い「五泊六日」の旅でした。
以上で、今回のブログ「思い出めぐり旅」を全て終了します。最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。 感謝!カンシャ!です。
今回の旅行は、新型コロナウイルスの流行の初期段階だったので、問題なく旅行できましたが、4月9日(木)現在、感染拡大が崖っぷちの段階です。4月7日に「緊急事態宣言」が7都府県(東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、福岡)に発出され、「三密(密室、密集、密接)防止」を徹底し、ひたすら「我慢」する時が来たようです。健康管理に万全を期し、COVID-19に負けないように頑張りましょう!情報によれば、四天王寺はCOVID-19の影響で、4月10日から約30ある堂塔や宝物館、休憩所など全て閉鎖するとのこと。また、住吉大社は4月8日朝から一切の業務を停止し閉門。境内ほぼ全域の立ち入りを禁止したそうです。「あべのハルカス」も4月8日から当分の間、食料品以外のフロア・店舗は臨時休業することになりました。そのほか、倉敷の「大原美術館」も4月11日から当面の間休館するそうです。まさに「忍の一字」あるのみです!!!
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2020年01月 初春の古都の旅(奈良篇)
http://mdavinci.exblog.jp/30696187/
2020-02-01T09:44:00+09:00
2020-02-15T20:12:59+09:00
2020-02-01T09:44:35+09:00
mda-vinci
我が家の行事
《旅行日程》
1月3日(金) 奈良・薬師寺、興福寺、奈良公園、東大寺、猿沢ノ池
1月4日(土) 奈良・法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺および京都駅周辺
1月5日(日) 京都・愛宕念仏寺、栂尾・高山寺、高尾(雄)・神護寺、槙尾・西明寺、祇園、八坂神社、切り通し、新橋通りなど
1月6日(月) 京都・醍醐寺、名古屋・名古屋駅周辺
1月7日(火) 名古屋・徳川美術館、徳川園 帰宅の途へ
《写真集》
1月3日(金) 早朝2時過ぎに自宅を出発、8時過ぎに奈良に到着しました。
薬師寺
奈良・西ノ京にある寺院で、興福寺と共に法相宗の大本山であります。開基は聖武天皇で、後に持統天皇になられる鵜野讃良(うののさらさ)皇后の病気平癒を祈願して、薬師寺の建立を発願されたそうです。本尊は薬師如来、南都七大寺の一つに数えられています。1998年に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコ・世界遺産に登録されました。その中でも東塔は現在寺に残る建築のうち、奈良時代に遡る唯一のもので、「国宝」に指定されています。2009年から解体修理中でしたが、訪問時にはほぼ修理も終わり、5月には落慶法要が営まれるそうです。
薬師寺伽藍図
中門から見た東塔、西塔中門の二天王像
阿形の増長天
吽形の持国天像薬師寺・金堂金堂縁起
本尊・薬師如来、日光菩薩、月光菩薩 金堂内での撮影は禁止。
国宝・東塔
東塔には6つの屋根がありますが、下から1,3,5番目小さい屋根は裳階で実は三重塔なのです。改修はほぼ終わっていましたが、周辺には工事用資材が多くのこされていました。
水煙 飛天が音楽を奏でているものとして夙に有名。飛天は何人確認出来ましたか?
薬師寺西塔 西塔は奈良時代から東塔と並んで立っていましたが、戦国時代の享禄元年(1528年)に起きた兵火により焼失し、その後長らく再建されずに東塔のみが残されてきました。昭和56年(1981年)に約450年振りに再建され、現在は東塔と並び立ち、薬師寺を象徴する建物となっております。
大講堂
大講堂は主に薬師寺の宗派である法相宗の教えを学ぶ場であり、その教主となる弥勒如来を祀っています。大講堂の内部には、弥勒三尊像、仏足石、仏足跡歌碑という貴重な文化財のほか、釈迦十大弟子像が安置されています。弥勒三尊像は中央に像高2m50cmを超える弥勒如来像、右脇侍は大妙相菩薩、左脇侍は法苑林菩薩となっており、白鳳時代から天平時代にかけて造立されたものと推定されています。釈迦十大弟子は彫刻家・中村晋也氏の彫像により奉納されたものです。
大講堂縁起大講堂の外観
金色に輝く鴟尾軒下の風鐸大講堂に展示された薬師三尊像の台座
異国情緒豊かな人々台座下部に彫られた青龍図と白虎図
大講堂で開催されていた法話風景玄奘三蔵院
平成3年に玄奘三蔵院伽藍を建立し、平成12年には平山郁夫画伯の手による玄奘三蔵の旅の道のりを描いた「大唐西域壁画」が奉納されました。今回もこれらの素晴らしい壁画をじっくり鑑賞することが出来ました。玄奘塔境内で咲いていた蝋梅の花多方面から眺めた東塔、西塔、金堂などの風景 薬師寺を後に、次の目的地奈良中心部へ向かいました。本日の宿泊先がJR奈良駅の直ぐ横なので、その付近の駐車場に車を停め、興福寺に向かいました。今回は恒例の春日大社をスル―して、久しぶりに東大寺・大仏に会いに行きました。
東大寺へ行く途中の風景
興福寺・国宝「北円堂」 日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいと称賛される建物で、藤原不比等の一周忌に創建されたと言われています。堂内には国宝の本尊弥勒如来像をはじめ、有名な無着・世親菩薩像などが安置されています。
興福寺・南円堂 弘仁4年(813年)藤原冬嗣が父・内麻呂の追善のために建てたと言われています。堂内には不空羂索観音菩薩像を本尊とし、法相六祖像、四天王像が安置されています。
興福寺・中金堂 興福寺の伽藍の中心的堂宇で、7度の火災に遭いましたが2018年、約300年振りに復興されました。
興福寺・国宝「東金堂」 中金堂の東にある金堂で、西向きの建物です。聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を祈願し建てられたと言われています。
興福寺・国宝「五重塔」 古都奈良を象徴する建物です。塔はお釈迦様の舎利を納める墓標です。藤原不比等の娘・光明皇后の創建になるとのこと。
ひと休みした奈良茶飯「流芳庵」 ぜんざいとわらび餅をいただきました。
奈良公園
東大寺大仏殿への参道
南大門 天平時代の門は平安時代に大風で倒壊しました。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が再建したものです。今はない鎌倉時代再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構であり、国宝に指定されています。1199年に上棟し、1203年には門内に安置する二体の金剛力士像と共に竣工しました。
南大門の阿形の金剛力士像 吽形の金剛力士像は金網と光の関係で上手く撮影できませんでした。
東大寺・中門 大仏殿の手前にある入母屋造りの楼門で、江戸時代1716年頃に再建されたと言われています。中門の両側には、仏を守護する四天王のうちの二天「持国天」と「多聞天」が安置されています。
東大寺・大仏殿
聖武天皇の発願により創建された東大寺の大仏は華厳宗の教主である盧舎那仏で、天平勝宝4年(752年)4月に「大仏開眼供養会」が盛大に厳修されました。斉衡2年(855年)には大地震で大仏の頭部が落下、治承4年(1180年)には平重衡の軍勢により大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失しました。しかし、その翌年には俊乗坊重源により復興に着手され、源頼朝の絶大な協力もあり文治元年(1185年)に大仏の開眼供養が行われました。永禄10年(1567年)に三好・松永の乱で大仏は雨ざらしの状態になったそうです。元禄5年(1692年)公慶上人の苦労により大仏開眼供養が執行されたと言われています。
大仏殿
中門から大仏殿を覗き見る観光客
大仏殿前の国宝「八角燈籠」
八角燈籠の音声菩薩たち
大仏殿の鴟尾の周りで争う鳶
威厳ある大仏
大仏の光背
蓮華座の蓮葉に刻まれた仏たち
虚空蔵菩薩と観音菩薩像
大仏殿の仏頭
大仏殿の広目天像と多聞天像
大仏殿の柱の穴潜りに挑戦する家族
大仏殿の飾り物
大仏殿の木組みと扉
夕暮れの東大寺・大仏殿奈良の落日夕闇迫る興福寺と猿沢ノ池
中金堂と南円堂
興福寺・五重塔
猿沢ノ池と猿沢の池越しに見た五重塔
1月4日(土) 本日は、斑鳩の里にある法隆寺、法輪寺、法起寺および中宮寺を訪れました。
法隆寺
この寺は、飛鳥時代の姿を現代に伝える世界最古の木造建築として夙に有名です。創建は金堂に安置されている薬師如来像の光背銘などにより次のように推定されています。推古天皇と聖徳太子が用明天皇の遺願を継いで、推古15年(607年)に寺と本尊「薬師如来」を造られたそうです。現在、法隆寺は塔、金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍に分けられています。この寺には国宝・重要文化財があり、約190件、点数にして約3000点が指定されています。1993年には日本で初めて世界遺産に登録されました。
伽藍配置図
南大門
中門と五重塔
中門の左右に立つ塑像の金剛力士像
金堂
飛鳥時代の建物で、この中には聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、父君の用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、静かに佇む我が国最古の四天王像(白鳳時代)、そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)が安置されています。天井には天人と鳳凰が飛び交う西域色豊かな天蓋が吊るされ、周囲の壁面には世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、再現壁画)が描かれています。
柱を支える鬼と狛犬
柱を飾る登り龍と下り龍
廻廊 エンタシスの柱の修復跡が特に印象的でした。
五重塔
塔はストゥーパとも言われ、釈尊の遺骨を奉安するもので仏教寺院では最も重要な建物とされています。塔の高さは32.5mで我が国最古の五重塔です。この最下段の内陣には奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士と文殊菩薩の問答、北面は釈尊の入滅、西面は釈尊遺骨の分割、南面は弥勒菩薩の説法等が表現されています。
五重塔の正月飾り
五重塔の九輪と水煙
金堂と五重塔
大講堂
ここは仏教の学問を研鑽したり、法要を行うために建立されました。一度落雷により焼失しましたが、正暦元年(990年)に再建されました。ご本尊の薬師三尊像および四天王像もその時造られたと言われています。
聖霊院 鎌倉時代に聖徳太子の尊像を安置するために僧坊の南端部を改造したのがこの建物です。
大宝蔵院
ここは、平成10年に落成した百済観音堂を中心とする建物で、内部には夢違観音像(白鳳時代)、玉虫厨子(飛鳥時代)、橘夫人厨子(白鳳時代)、百万塔など我が国を代表する宝物類が多数安置されています。多くの素晴らしい宝物をじっくり味わうことが出来ました。
百済観音堂 平成10年秋に創建された堂宇で、この中に百済観音像を安置しています。日本の仏像には珍しい八頭身ののすらりとした姿と優美で慈悲深い表情の百済観音像はいつ見ても心を癒される不思議な魅力ある観音さまです。中での写真撮影は禁止です。
大宝蔵院前から見た法隆寺の金堂と五重塔
境内で撮影したさざんかの花
大宝蔵殿の玄関に飾られた正月飾り
東大門 夢殿へ向かう途中に建っている国宝の門で、珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建築の一つです。
夢殿への参道 塀に映る樹木の影や倒れそうな塀を丸太でつっかい棒している景色が印象的でした。
夢殿
西暦601年に造営された斑鳩の宮跡に、行信僧都が聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739年)に建てた伽藍を上宮王院といいますが、その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂の中央厨子には、聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周辺には聖観音菩薩像、聖徳太子の孝養像、行信僧都像などが安置されています。
救世観音像の写真 境内に掲示されていた写真です。
国宝・鐘楼
中宮寺
当時は聖徳太子の母君穴穂部間人皇后の祈願により、太子の宮居「斑鳩宮」をち中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺といわれています。法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として計画されたのではと考えられています。国宝「菩薩半跏像」はその金堂の本尊、国宝「天寿国曼荼羅」は講堂の本尊薬師如来像の背面に奉安されたのではと推定されています。創建の飛鳥時代から千三百年の長きにわたり、尼寺の法灯を続けています。
表御殿
屋根瓦
菊紋の正月飾り
本堂
高松宮妃殿下のご発願により、吉田五十ハ先生が設計され、昭和43年5月に落慶した御堂です。池の周りには八重・一重の山吹を植え、周囲に季節の花木を配し、尼寺に相応しい雰囲気を醸し出しています。この本堂の奥に国宝「菩薩半跏像」と国宝「天寿国曼荼羅繡帳」(複製)が安置されていました。
本堂から見た境内の景色と夢殿
境内に建てられた会津八一の歌碑 「みほとけの あごとひぢとに あまでらの あさのひかりの ともしきろかも」
法輪寺
この寺は斑鳩の北の端、三井の里にあります。聖徳太子の御子・山背大兄王の創建と伝えられています。飛鳥時代の仏像と飛鳥様式の三重塔(昭和五十年再建)で知られています。
金堂
三重塔
門前に咲いていた白い山茶花
法輪寺を見学した後、徒歩で次の目的地・法起寺に向かいました。斑鳩の里の長閑な風景はわれわれの心を癒してくれました。
斑鳩の里風景
斑鳩の周辺地図
山背大兄王の墓と伝えられる丘
朽ち行くイチジクの実法起寺
この寺は、推古十四年(606年)に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮を寺に改めたものと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヶ寺の一つに数えられています。創建は推古三十年(622年)で、聖徳太子が薨去に臨み、長子の山背大兄王に宮殿を寺に改めるよう遺命して建てられたと言われています。国宝・三重塔および重要文化財・十一面観音菩薩像が有名で、世界遺産にも登録されています。
法起寺の小径脇に咲いていたコスモスの花国宝・三重塔聖天堂講堂越しに見た三重塔重要文化財・十一面観音菩薩像などが収蔵されている建物寺域外から見た三重塔 この辺りから見る三重塔が大好きです。青空に浮かぶ白い雲が印象的でした!
法起寺を見学した後、法輪寺まで歩いて戻り、駐車場に停めてあった車にの乗って京都に向かいました。
以上で、「新春の古都の旅(奈良篇)」のブログを終わります。引き続き「新春の古都の旅(京都篇)」のブログをご覧ください。
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2019年11月 滋賀紅葉狩りの旅 (3)
http://mdavinci.exblog.jp/30653132/
2019-12-31T21:23:00+09:00
2020-01-02T11:03:48+09:00
2019-12-31T21:23:22+09:00
mda-vinci
我が家の行事
侘び・さびのかくれ里「教林寺」
この寺は推古十三年(605年)に聖徳太子によって創建されたと伝えられています。寺名の「教林」とは、太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩と御本尊を祀る霊窟が残され、別名「石の寺」と呼ばれています。
教林寺
近江八幡
豊臣秀次が築いた城下町を基礎に発展した商業都市で、「近江商人」の発祥の地として知られています。近世の風情がよく残る新町通り、永原町通り、八幡掘沿いの町並みおよび日牟禮八幡宮境内地は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されており、時代劇の撮影場所としても夙に有名な処です。
八幡山城 豊臣秀次が山上に築いた城。現在、山上までロープウェーで上ることが出来ます。
日牟禮八幡宮
有名な菓子店舗
たねやグループのたねや本店とクラブハリエ八幡掘
近江八幡の街並みたねやの店構えと内部構造近江八幡を堪能した後、次の目的地「湖東三山」に向かいました。
釈迦山「百濟寺」
近江最古級の寺院です。推古14年(600年)に聖徳太子が「近江の仏教拠点」の一つとして建立されたと伝えられています。仏教が朝鮮半島の百済国から伝えられたことから山号を「釈迦山」、寺号を「百濟寺」にしたとのこと。その後繁栄を極めましたが、1573年4月、織田信長の焼打ちで壊滅的な打撃を受けました。1650年、本堂以下数棟が再建されました。特筆すべきは、本坊・喜見院の池泉回遊式庭園は「天下遠望の名園」と言われています。本堂の外観及び内陣本堂脇の「千年菩提樹」本堂脇の池に散り込んだ落葉
本坊・喜見院の庭園表門へ戻る途中の風景松峯山「金剛輪寺」
この寺は聖武天皇の勅願寺として、行基菩薩により天平十三年(741年)に開山された歴史のある寺であります。本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の御作と言われております。百濟寺が織田信長の焼打ちにあった時、この寺も火を放たれましたが、当山僧侶の機知により、本堂、三重塔、二天門などはその難をのがれたそうです。
屋根の飾り瓦参道の両側に祀られた石仏群国宝「本堂」周辺の紅葉、黄葉重要文化財「三重塔」重要文化財「二天門」参道脇に祀られた「千躰地蔵」明壽院庭園
参道でのスナップ瑞石山「永源寺」
室町時代の康安元年(1361年)に近江の領主佐々木氏頼が寂室元光禅寺の高徳を慕い、風光明媚なこの地に伽藍を創建し、禅師を迎えて開山された寺です。寂室禅師の名声は高く、当時2千人余りの修行僧が集い大いに隆昌しましたが、戦国時代、たび重なる兵火によって寺院堂宇ことごとく灰燼に帰したと言われています。「ありがたき 法におうみの永源寺 願うはのちの世継ぎ観音」(世継ぎ観音のご詠歌)夕暮れの愛知川の風景
三河安城駅へ向かうバスの車窓から見た変わり行く夕景三河安城駅に到着。新幹線に乗るまで撮影した景色
以上で、今回の「滋賀紅葉狩りの旅」のブログを完結します。ご覧頂き本当にありがとうございました。感謝!カンシャ!です。
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2019年11月 滋賀紅葉狩りの旅(2)
http://mdavinci.exblog.jp/30651296/
2019-12-30T17:34:00+09:00
2019-12-31T15:05:42+09:00
2019-12-30T17:34:25+09:00
mda-vinci
我が家の行事
ホテルを出発前のスナップ
ホテルの部屋から見た中庭の紅葉ホテルの前から見た琵琶湖の風景今日は湖南三山の内、常楽寺と長壽寺の二山を訪れました。
阿星山「常楽寺」
阿星山(あぼしやま)の北麓にある天台宗の寺で、和同年間に元明天皇の勅命により良弁僧正が開基したと伝えられています。紫香楽宮の鬼門鎮護として栄えたそうです。延暦年間に天台宗に改宗。延文五年(1360年)火災で全焼しましたが、観慶らによって再興されたそうです。本堂は入母屋造、檜皮葺で、昭和28年「国宝」にしてされました。また、三重塔も室町時代に再建され「国宝」に指定されています。
国宝「三重塔」
応永七年(1400年)室町時代に再建された三間四方の瓦葺きの国宝の三重塔で、木造釈迦如来坐像を安置しています。遊歩道脇で見つけた石仏たち国宝「本堂」境内にある鐘楼阿星山「長壽寺」
聖武天皇の天平年間に良弁僧正によって建立された勅願寺で、現在国宝に指定されています。本堂は貞観年間(859~877年)に焼失しましたが、同年間に復元され、現代に至っています。長壽寺も常楽寺同様三重塔があったのですが、天正三年頃織田信長の手によって安土城内の織田家の菩提寺である総見寺に移築されたと言われています。
長壽寺の参道風景長壽寺「山門」参道に置かれた可愛い動物たち国宝「本堂」弁天堂と周囲の池の映り込み石造「多宝塔」 聖武天皇の菩提を弔うために鎌倉時代に建立された多宝塔。この種の石造多宝塔の遺例は極めて少ないとのこと。長寿寺境内で見つけた花たち 菊と皇帝ダリアが美しく飾られていました。
室内に飾られていたガーベラの花休憩所に飾られていた「切り絵」長壽寺を見学した後、琵琶湖大橋を渡り日吉大社に向かいました。
琵琶湖大橋を渡る途中の風景びわ湖大橋米プラザ
琵琶湖大橋を渡りきった西側のたもとにある道の駅「びわ湖大橋米プラザ」で昼食を摂りました。
周辺の風景日吉大社
比叡山の麓に鎮座する神社で、およそ2100年前の崇神天皇七年に創祀されたと伝えられています。全国3800余社の分霊社(日吉、日枝、山王神社)の総本宮です。所謂「比叡山の山の神様」です。境内には魔除けの象徴として、神猿(まさる)と呼ばれる猿が祀られ、「魔が去る、何よりも勝る」として大切にされてきております。
バスに映り込む紅葉日吉大社の境内風景
要文化財「西本宮楼門」 軒下の四隅に木製の猿が楼門を守っています。
楼門横の手水舎
西本宮 現在の社殿は天正14年(1586年)の創建で、「日吉造」という独特な形をしています。宇佐宮本殿と木製狛犬この日に上演されていた900年の伝統を持つ伝統芸能「大島山瑠璃寺の獅子舞」を幸運なことに見る事が出来ました。
大島山瑠璃寺の獅子舞
この獅子舞は天永三年(1112年)に遡り、900年に及ぶ長い歴史を持つ伝統芸能です。南信州の瑠璃寺の開祖である観誉僧都が比叡山の日吉大社から獅子を迎え、縁日に舞うようになったと伝えられています。宇天王、猿、鬼、巨大な獅子が繰り広げる所作が面白く、沢山の写真を撮りました。宇天王が眠った獅子を起し、暴れる獅子を宥めながら行進し、西楼門前で獅子が再び眠りに就くと云うものです。
獅子舞を大いに楽しんだ後、次の目的地「比叡山」に向かいました。
天台宗 比叡山延暦寺
比叡山は大きく三塔の地区(東塔地区、西塔地区、横川地区)に別れています。今回は東塔地区のみ見て廻りました。
東塔地区 比叡山延暦寺(三塔十六谷)の中心で、総本堂の根本中堂をはじめ、大講堂、法華総持院東塔など重要な堂塔が集まっています。我々はケーブルカーでケーブル坂本駅からケーブル延暦寺駅へ向かいました。
ケーブル坂本駅坂本ケーブルケーブル延暦寺駅周辺から見た琵琶湖
根本中堂の石碑根本中堂は大改修中でしたが、この時しか見る事の出来ない改修工事状況を見る事が出来ました。勿論、根本中堂に安置された本尊薬師如来像の前には、1200年以上消える事のない「不滅の法灯」が灯り続けていました。
国宝根本中堂 この建物は伝教大師最澄が788年に創建したお堂で国宝に指定されています。大改修中の写真を掲載します。伝教大師の石像文殊楼鐘楼秋の彩り大講堂と平和の鐘参道脇で撮影したスナップ写真
手水舎の花奉納牛像比叡山延暦寺東塔地区の観光を終え、バスで宿舎に戻る途中で車窓から撮影した夕陽に映える紅葉以上で「滋賀紅葉狩りの旅(2)」を終わります。引き続き「滋賀紅葉狩りの旅(3)」をご覧ください。
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2019年11月 滋賀紅葉狩りの旅(1)
http://mdavinci.exblog.jp/30647909/
2019-12-28T13:31:00+09:00
2019-12-30T17:00:21+09:00
2019-12-28T13:31:30+09:00
mda-vinci
我が家の行事
今回の旅行の日程表を下記に示します。この旅で撮影した写真を本ブログに掲載します。よろしければご覧ください。
《日程表》
11月22日(金) 新幹線「こだま」米原下車。そこからバスで鶏足寺、メタセコイヤの並木、琵琶湖テラス、石山寺の夜景を見学
11月23日(土) 湖南三山(内、常楽寺、長寿寺の二山)、日吉大社、比叡山延暦寺・東塔地区を散策
11月24日(日) 教林坊、近江八幡、湖東三山(百濟寺、金剛輪寺、永源寺)を観光後、三河安城駅から「こだま」で帰宅
《写真集》
11月22日(金)
鶏足寺(旧飯福寺) 735年僧行基の開基で己高山鶏足寺の別院として造られたと言われています。中世には僧兵を擁する程の大寺であったとか。我々が訪れた時、境内を埋める二百本の楓が紅葉し、見事な景色を見せてくれました。尚、周辺地区はお茶の栽培も行われており、参道で「茶葉」の販売も行われていました。
まほろばの里「鶏足寺」の参道鶏足寺の周辺風景
鶏足寺へ行く途中、薬師堂、大日堂、與志漏神社、日本最古の製鉄遺跡および世代山遊歩道には観音堂などがあります。與志漏神社周辺の紅葉世代山遊歩道
日本最古の製鉄遺跡観音堂世代山遊歩道の風景與志漏神社鶏足寺(旧飯福寺)へ行く途中の風景
田園風景お茶の販売所参道を横切る小川のせせらぎ参道脇のみたらし団子や五平餅の幟鶏足寺境内の紅葉風景
鶏足寺周辺で見つけた花たち
山茶花の花四季桜(冬桜)
コスモスの花沼にひっそり咲くアヤメの仲間紅葉の種(プロペラのような美)鶏足寺周辺の茶畑および茶の花帰りの参道脇の風景
見事な鉢植えの紅葉農家の納屋に干されていた玉葱と大豆鶏足寺を後に次の目的地「琵琶湖テラス」に向かいました。
バスの車窓から見たメタセコイヤの2kmの並木琵琶湖北部の田園風景途中で立ち寄った道の駅「藤樹の里あどがわ」鮒寿司や鯖寿司大津絵の扇子和菓子の材料で造られた作品「魁」琵琶湖テラス
びわ湖テラスは、標高1,100mから琵琶湖を望むことのできるネイチャーリゾートで、2つの山の頂に2つの個性的なテラスがあり、ゆっくりくつろげる空間です。今回は、打見山にあるテラスで雄大な琵琶湖を眺めながら至福の時を過ごすことができました。
山麓駅からロープウェイで山頂へびわ湖テラスからの眺望北から南まで180度の景観が素晴らしい。 兎に角、息を飲むような雄大な琵琶湖の風景を楽しむことが出来ました。琵琶湖大橋も眼下に眺める事が出来大満足でした。
テラスから景色を楽しむ観光客びわ湖テラスおよび琵琶湖遠望ロープウェイ山麓駅の売店で見つけた「ひこにゃん」と関連土産夕食後、石山寺のライトアップ見学に出掛けました。
石山寺
滋賀県大津市にある東寺真言宗の寺で、本尊は如意輪観音です。開基は良弁僧正で西国三十三所観音霊場大3番札所となっています。「蜻蛉日記」「更級日記」『枕草子」などの文学作品にも登場し、「源氏物語」の作者・紫式部は石山寺参籠の折に物語の着想を得たとする伝承が残っています。近江八景のひとつ「石山秋月」でも知られる古刹です。
石山寺の東大門ライトアップされた石山寺の境内
硅灰石越しに見た多宝塔宝筐印塔越しの紅葉本堂から見たライトアップされた楓本堂に飾られた紫式部の人形多宝塔と天に伸びる一筋の光硅灰石越しに見る紅葉境内に飾られていた三体の大津人形山門に立つ阿吽の仁王像
以上で「滋賀紅葉狩りの旅(1)」を終わります。引き続き、「滋賀紅葉狩りの旅(2)」をご覧ください。
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2018年03月 桜の三渓園散策
http://mdavinci.exblog.jp/29402000/
2018-03-30T10:21:00+09:00
2018-04-15T11:59:31+09:00
2018-03-30T10:21:48+09:00
mda-vinci
我が家の行事
《写真集》
本牧市民公園
三渓園
三渓園の案内板蓮華院
大正6年に建てられたもので、入口のすぐ近くに土間があり、その奥に六畳の広間、茶室があります。土間席にある太柱は平等院鳳凰堂の古材を転用したものと言われており、壁面にある格子窓も鳳凰堂の部材であると言われています。
竹林付近から見た旧天瑞寺寿塔覆堂春草廬
安土桃山時代の茶室で、織田有楽斎の作と言われています。京都府宇治市の旧三室戸寺金蔵院の客殿であった月華殿に付属していた茶室でしたが、1918年に三渓園に移築されたものです。
聴秋閣
1623年に徳川家光の命により佐久間実勝が二条城に建てたものです。これが家光の乳母・春日局に下賜され、春日局の孫・稲葉正則の江戸屋敷に移築され、変遷の後1922年に三渓園に移築されたものです。聴秋閣と言う名は、三渓園に移ってからの名前だそうです。
月華殿
安土桃山時代の建物で、宇治の三室戸寺金蔵院より1918年に移築されたものです。屋根は檜皮葺き・入母屋造りで、庇は杮葺きです。
金毛窟
大正7年の建物で、月華殿と接続している小さな茶室です。床柱には、大徳寺山門の高欄の手摺であった古材が使われているそうです。
天授院
1651年(慶安4年)の建物で、もとは鎌倉市心平寺の地蔵堂だそうです。1916年にこの地に移築されました。
聴秋閣付近から見た景色
十三重塔と聴秋閣
三重塔の遠望風景
臨春閣
1649年に建てられた旧紀州徳川家の藩別邸。紀州徳川家の初代・徳川頼宣が紀州和歌山に建てたもので、1915年にこの地に移築されたものです。数奇屋風書院の建物で、第一屋に玄関があり、第二屋まで平屋、第三屋のみが二階建てになっています。屋根は檜皮葺、庇は杮葺です。
亭榭と臨春閣
亭榭から水面を見た風景
旧天瑞寺寿塔覆堂
1591年の建物で、豊臣秀吉が母の長寿を祝って立てたものと言われています。旧大徳寺塔頭天瑞寺より1902年に移築されたものです。
散策径脇で見つけたトサミズキの花と残実
水面に映る美しい風景 モネの睡蓮を彷彿とさせるような素晴らしいふ風景
大池越しに見た桜と三重塔
大池の畔にある藤の巨木
大池の畔の草叢に寝そべっていた二匹の猫たち 草叢には土筆が顔を出していました。
散策径のわ脇で見つけた枝垂れ桜
涵花亭から見た桜と三重塔
大池の畔で見つけた草花
団子を販売している売店と団子を食べている時に撮影したスナップ
団子を食べた後、散策を続けました。
待春軒
横笛庵
旧矢箆原(やのはら)家住宅
18世紀・江戸時代の建物です。白川郷の合掌造民家で岐阜県大野郡荘川村より移築されたものです。
旧東慶寺仏殿
江戸時代1634年の建物です。鎌倉市東慶寺より1907年に移築したものです。
散策径で見つけた花
椿
躑躅
木瓜
三重塔およびその高台からの眺望
三重塔
高台からの眺望
旧燈明寺本堂
大池および市街地遠望
出世観音
帰途見つけた花や鳥たち
ウラシマソウ
連翹とアオサギ
亀と鴨たち
3時近くになったので、帰宅の途につきました。以上で、本ブログを終了します。最後までご覧頂き、本当にありがとうございました。
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2015年05月 羽田空港「江戸小路」散策
http://mdavinci.exblog.jp/24172517/
2015-05-27T21:11:00+09:00
2015-05-28T17:52:47+09:00
2015-05-27T21:11:06+09:00
mda-vinci
我が家の行事
《写真集》
「行き」は、上大岡駅から急行「羽田空港」行きの京急電車に乗り、羽田空港国際線ターミナル駅で下車、3Fの出発ロビーに行きました。
3Fの出発ロビーから見た「はねだ日本橋」
4Fから見た出発ロビー
はねだ日本橋
橋の欄干と壁面の江戸図屏風の部分絵
江戸図屏風
富士山
日本橋界隈
江戸城
京橋・新橋界隈
浅草・浅草寺界隈
谷中
湯島天神
増上寺
はねだ日本橋の欄干から下を覗く親子連れ
橋の上で記念写真を撮る家族連れ
はねだ日本橋の橋下風景
お祭り広場 イベントの時だけに使用される空間のようで、普段は憩いの場となっているようです。
祭り広場の一角に「願掛けコーナー」があり、沢山の願い事を書いたプレートが掛けられていました。少し違和感がありましたが?
「TOKYO POP TOWN」に行く途中で、羽田空港に乗り入れている航空会社の飛行機が展示されていました。
5Fにある「TOKYO POP TOWN」 ここには、プラネタリュームや土産物店があります。
5Fから見た江戸小路の風景
江戸小路の風景
江戸小路で「自撮り」をする3人娘 撮った写真を確認している情勢の表情がいいですね。
昼食を食べた串揚げの店「串の坊」
江戸前横丁の風景
江戸小路の「おやすみ処」
浅草・梅園の「どらソフト」を買うの図
帰途、道すがら撮影した写真
横浜・MM21地区の風景写真 プロの撮る写真は一味違いますね。
「京急「羽田空港国際線ターミナル駅」のプラットホーム風景
「帰り」は、急行・逗子行きに乗り「六浦駅」で下車、自宅まで徒歩で帰りました。その道すがら撮影した花々です。
カワラナデシコの赤花と白花
交雑系ナデシコの花
ニオイバンマツリの花 この花の色は、はじめ紫色で、後に白色になるそうです。
テイカカズラの花
式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、定家蔓に生まれ変わって彼女の墓に絡みついたという伝説に基づくそうです。
カシワバアジサイの花
タチアオイの花
スイカズラ(忍冬)の花
マリーゴールドの花
以上で、本ブログを終わります。最後までご覧頂き、本当にありがとうございました。 感謝!カンシャ!!です。]]>
『高校野球』 観戦記
http://mdavinci.exblog.jp/12192140/
2009-08-25T08:26:00+09:00
2009-08-26T09:32:29+09:00
2009-08-25T08:26:14+09:00
mda-vinci
我が家の行事
まず、阪神パークのあと地に出来た「ららぽーと甲子園」に行き、食事をした後、甲子園球場に向かいました。
改装なった甲子園球場を見ることと高校野球観戦をするためです。蔦に覆われた甲子園球場の面影は無く、モダンで明るい球場に生まれ変わっていました。チョット寂しい気分にもなりました。
高校野球の方は、準々決勝 第4試合 「中京大中京ー都城商」の試合でした。じりじりと焼きつくような太陽の下、汗をかきながらの観戦となりました。ほぼ満員の観客も頭をタオルで被い、生ビール、カチワリ、かき氷などを食べながら、一球一打に一喜一憂していました。試合は 6-2 で中京大中京が勝ちました。
その時撮影した写真を本ブログに掲載します。その他、西宮・甲山(かぶとやま)や高速道路などの関連の写真も同時に掲載しました。よろしければ、御覧下さい。
8月24日、決勝戦が行われ、中京大中京が日本文理を接戦の末破り、43年ぶり、7度目の優勝を果たしました。
《写真集》
甲山で撮影したハンミョウの美しい姿 ハンミョウは大きな鎌のような鋭い顎を持ち、肉食昆虫だったと思います。
『ららぽーと甲子園』
建物の外観風景
広場で開催されていた子供向けの夏休み宿題アシスト・コーナー
店の内部で撮影したスナップ写真
内部の風景
デズニーキャラクター・ショップの前で バギーに乗った子供がこの看板を指差して、お母さんに何か話していました。
ケーキ屋の前で どのケーキが食べたいか相談しているのか?親子連れが通り過ぎていきました。
このケーキ屋の中で食べている女性たち 二人の顔の表情が、ひと時の幸せと喜びを如実に表していますね。
店内はすでに「秋物商戦」でした!
甲子園球場
改装後の球場外観 甲子園八番町の横断歩道付近からの眺望
センターポールに翻る「全国高等学校野球選手権大会」旗
「中京大中京ー都城商」の試合風景と観客のスナップ写真
外野席からホームベースを見た風景 都城商の攻撃中!
素晴らしい打撃フォーム 打者は中京大中京の選手です。名前までは不明です。
中京大中京の三塁側応援風景
都城商の一塁側応援風景 この時は、都城商の攻撃中でした。
観客の応援風景アラカルト 文句なしに暑かった!タオルと団扇が大活躍でした。
熱中症の予防には、まず水分補給です。
お父さんに肩車された子供。お父さんも、この暑い中大変ですね。
熱心に親子で観戦中! 二人で何か相談しているようですね。
お父さんはご機嫌ですが、お母さんは?明暗分かれた表情でした。
生ビール売りの女の子 ビール樽を背負い、汗だくだくになりながら、元気に売り歩いていました!
観戦しながらカレーライスを食べている人 我々は、かき氷をたべました!
ビールを飲みながらの観戦風景
玉の汗の男の人 玉の汗を拭きながら、最後まで熱心に観戦されていました。強烈に印象に残り、カメラに収めました!
顔中玉の汗。額も鼻先も顎にも汗が光っていました!
さすがに、タオルで汗を拭われました。
気分がよくなったのか?ニッコリ!
都城商の最後の打者 9回表、2アウトで結果的に最後になった打者。投げた球が途中に確認できます。ピッチャーはエース堂林くんです。
試合終了の挨拶後、健闘を称えあう両チームの選手たち
中京大中京の勝利に拍手を送る観客たち
応援席に挨拶に来た中京大中京の選手たち
勝利に酔う応援団
球場外の風景
球場の外で集合する中京大中京の野球帽を被った少年達
甲子園球場をデザインしたマンホールと駅に向かううる人たち
横須賀に戻る途中の風景
今回は、伊勢湾岸自動車道を利用して豊田JCで東名高速と合流するルートを選択しました。
伊勢湾岸自動車道の名港トリトン3橋 手前から「名港西大橋(赤)」、「名港中央大橋(白)」、「名港東大橋(青)」です。1985年建設
名港西大橋 橋長:758m、 中央径間:405m、 塗装:赤
名港中央大橋 3橋中最大 橋長:1,170m、 中央径間:590m 塗装:白
名港東大橋 橋長:700m 中央径間:410m 塗装:青
豊田ジャンクション 伊勢湾岸自動車道と東名高速の合流点
由比付近の高速道路から見た富士山
愛鷹PAでのスナップ写真 名物?の冷やした胡瓜を召し上がるご夫婦
東名高速の交差する時点の陸橋
東名高速では、トラックによる事故渋滞で少し遅れましたが、無事帰宅することができました。
今回も最後まで御覧頂き、本当にありがとうございました。
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